カティア・ブニアティシヴィリ 超絶技巧ピアニスト:大嶺光洋のまとめブログ1

【2018.01.07 更新】

【来日ツアー2017】11月5日~18日の間に8公演が開催された。リサイタルは5日・名古屋(しらかわH)、6日・東京(サントリーH)、12日・大阪(いずみH)、18日・札幌(キタラ小H)の4都市で。オーケストラ共演はチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を、10~11日・上岡敏之新日本フィル(東京・墨田トリフォニーH)、14日・ハンヌ・リントウ/広島響(広島・エイチビージーH)、15日・ハンヌ・リントウ/広島響(大阪・ザ・シンフォニーH)で、それぞれ予定通り開催された。リサイタルのホールや料金設定ほかを見ると、日本でブニアティシヴィリは何故かまだメジャー扱いされていない。日本は世界音楽情報の受信後進国か?

★2017 リサイタル 感想 11月6日・サントリーホールベートーヴェンソナタ「熱情」で幕を開ける。スタートの最弱奏でハッとさせられ、時を置かずに猛烈な強奏でドキッとさせられる。華麗に第1楽章を締め括ると、しっとりと歌い上げてから、例の第3楽章の大爆走へと突き進む。作曲から200年余を経た現代版ブニアティシヴィリの世界は強烈だった。

リサイタルに限らず今回のツアーは彼女の表現が変化している。特に感じられたのは極端(エッそんなに)に思えるほどの「間」へのこだわりだ。それに、強弱や速度変化の振り幅が今までになく大きい。これは、進化というよりは通過点と言えるだろう。キャリアが長いとはいえ、まだ30歳の若手。最速の部分は流石に「もっと音楽してよ!」と叫びたくなる場面が散見された。

ところで、きらびやかに高低音を弾きつつ中間音のメロディー(主旋律)を浮き立たせる彼女の技巧には改めて驚嘆させられる。今日のメインプログラムは、難曲3曲を揃えたリストものと言えるが、中でも「ドン・ジョヴァンニの回想」でその「技」は遺憾なく発揮され、モーツァルトのブッファの有名なメロディーが生き生きと描かれた。

次に、彼女としては新顔のチャイコフスキーくるみ割り人形」演奏会用組曲が登場した。指揮者でピアノのビルトゥオーソ、プレトニョフ編曲による全7曲(作曲者が選曲した全8曲のバレエ組曲から4曲と編曲者が選曲した3曲)。数ある編曲もの(単独曲)の中で、最もピアニスティックな難曲として知られる。今まで取り上げられなかったことが不思議なくらい、絢爛豪華で如何にもブニアティシヴィリ向きに聴こえた。しかし、テンポの上げ過ぎが目立ち、この曲本来の楽しさが伝わって来ない一面があった。「展覧会の絵」や「ペトルーシュカ」のように彼女の主要レパートリーに育つか否か、今の段階では不透明だ。

続いて「おはこ」のショパン「バラード4番」。ここにプログラミングしたのは、フィナーレに置いた2曲の大曲ラプソディー、リストの「スペイン狂詩曲」と「ハンガリー狂詩曲第2番(ホロヴィッツ編)」の前に、聴衆の気持ちをマイルドにさせようとの配慮なのだろう。見事な構成だ。

アンコールはカティアの映像発信でお馴染みのドビュッシー「月の光」、リスト「メフィスト・ワルツ1番」、ヘンデル(ケンプ編)「メヌエット」、そして、ショパン前奏曲ホ短調」の4曲。

何れにしても、変幻自在な音色が醸し出す彼女独特の空気感から、亡我の境地に誘われ、吾に返った時は終わっていた、というアッという間の出来事でもあった。

サントリーホールの響き等は本当に世界一か? リニューアル後初のサントリーホール訪問である。私の席2階LB2列目5番はピアノの真後ろより少し右手で、鍵盤がくっきり見え、ピアノの音がダイレクトに届く、同伴のピアニストが大喜びの席だ。ただ、左脚が不自由で杖を使用している私にとって、二階フロアから当席までの下り急坂が手摺等も心もとなく、非常に怖い思いで席にたどり着いた。ここはバルコンのステージ近特S席に相当する。にもかかわらず、途中の急階段で誤って不意に背を軽く突かれただけで、間違いなく1階席まで転がり落ちるであろうと感じさせる、バリアフリーが考慮されているとはとても思えない設計である。パラリンピックを控えてのリニューアルだというのに、バリアフリー後進国の実態をさらけ出しているとは言えないだろうか。

さて、この席のピアノの響きは、二通りの聴こえがある。一つは、ダイレクトなピアノの生の音。二つは、ホール全体に響き渡る残響だ。ブニアティシヴィリのピアノをオーケストラのように自在に鳴らす、好もしいダイレクトな生の音。対して、柔らかな残響を期待したものの、明らかに金属的なもので、木質感は一切無い。少なくともピアノにとっては不快な残響であった。席によって響きは異なるのだろうが、この席が最も残響を聞き取れる場所だろう。関係諸氏はどんな実体験をなさっておられるのか伺ってみたい。

ところで、サントリーホール(公式)から発信されている多くのリリースには「世界一」の文字が躍っている。世界を「代表する」コンサートホールと言えば、シューボックス型のウィーン、アムステルダム、ボストンがあり、ヴィニヤード型ではベルリン、ライプツィヒ、ロサンゼルスがある。片や、日本全国にはサントリーホールと肩を並べるホールが五指を越える。この中で「世界一」を謳う根拠が理解し難い。これも伺いたい点だ。

★2017 ピアノ協奏曲 感想 11月11日・墨田トリフォニーホール。上岡敏之新日本フィルハーモニー交響楽団。入りのオーケストラは歯切れよくパン パン パン パンッ パーンッ と欲しいところ、パー パー パー パーン パーンッ という冗長な入りで嫌な予感。ピアノはオーケストラより早目のテンポを自己主張すると、オケはそれに応える、という展開を予想していたところ、まるで、オケに寄り添うようにピッタリ合わせたテンポで入ってきた。これは彼女の場合予想外で、日本のオケを労ったか、それとも諦めたのか、一寸物足りないスタートとなった、と思った途端に「カティア節」が炸裂した。木管が遅れ気味。金管がアンバランスに吠える。トゥッティではそそくさとした辻褄合わせ。透き通った柔らかな音を奏でて抜群のアンサンブルを誇る、このオケの「弦」の存在が感じ取れない。指揮者がカティアの音楽を共有しないからオーケストラも音楽出来ない訳だ。引っ張られるのではなく、待ち構えているようでなくては、とても彼女には合わせられない。第2楽章終盤でホルンがプロにあるまじくピアノからのバトンを受け損なうし、3楽章ではカティアがあれだけ「ため」をつくって渡しているのにオケが全員でコケた。ただ、オーボエだけは全般に光っていたけれど。或評論家が「彼女と共演するオーケストラをコントロール出来る指揮者は少ないだろう」と言っていたが、その通り頷ける結果になってしまった。

パーヴォ・ヤルヴィズビン・メータの見事にコントロールされた多くの共演。ジャナンドレア・ノセダやトゥガン・ソヒエフの名演が頭をよぎる。

11月15日、大阪・ザ・シンフォニーホール。ハンヌ・リントウ/広島交響楽団。「広響」にハンヌ・リントウ氏が客演しブニアティシヴィリと共演するとのことで、私はこの組み合わせを是非聴きたいと思ってチケットを入手した。広響については十束尚宏氏を経て秋山和慶氏の薫陶を受け、この春から下野竜也氏が音楽総監督に就任したとの情報しか承知していないが、この顔触れからして「札響」や「九響」のように地方の雄だろうという予測は立っていた。しかし、日フィルとの失敗を目の当たりにして、やはり、期待薄かなという恐れを抱きながら、初の大阪ザ・シンフォニーホール1F6列左から12番、ピアノの鍵盤がハッキリ視界に入る小高い席に着いた。

ハンヌ・リントウは思ったより身のこなしがシャープな人だった。ブニアティシヴィリの音楽を理解・共有して、まるで、ダンスをするような身振りでオーケストラにカティアの音楽を伝えていた。オケはバランスよく情熱的(第1ヴァイオリンが一斉に中腰で弾くなど)にカティアを支えた。曲が終わるとブニアティシヴィリはリントウと頬を合わせるのもそこそこに、コンマスをハグというより飛びついて抱き締めた。こんなシーンは彼女の数多い映像の中でただの一つも見たことが無い。彼女はよほど嬉しかったのだろう。日フィルでショゲたブニアティシヴィリの気持ちを広響が救ったのだ。それにしても、広響の能力を精一杯引き出し、コントロールするハンヌ・リントウの力量は評判通りタダ者では無かった。

【プロフィール】KHATIA  BUNIATISHVILI  1987年ジョージアグルジアトビリシ生まれの今年(2017)30歳。美しすぎる技巧派の女性ピアニストとして世界の耳目を集めている。6歳でリサイタルやオーケストラとの共演を果たす。18歳で自国のピアノ・コンクール入賞のおり、審査員の推薦を受けウィーン音楽大学に転入、奨学金を得てマイセンベルグ教授に師事する。

16歳(2003)で、若いピアニストのための「ウラディミール・ホロヴィッツ記念国際ピアノ・コンクール」(ウクライナキエフ、毎年開催)特別賞。21歳(2008)で、三大ピアノコンクールに並んで有名な「ルービンシュタイン国際ピアノ・コンクール」(イスラエル・テルアビブ、三年毎に開催)入賞&最優秀ショパン演奏賞&聴衆賞。同2008年、ショパンの協奏曲第2番を弾いてカーネギー・ホールにデビュー。23歳(2010)で、審査員に内田光子さんが加わる、ロンドンの「ボルレッティ=ブイトーニ財団賞」。25歳(2012)で、ベルリンの権威ある「エコー賞」ほか受賞歴多数。

最近は世界の著名な指揮者やオーケストラと共演を重ね、多くの有名音楽祭から定期的に招かれる一方、リサイタルを始め室内楽にも力を注ぎ、さらに、トビリシの母校で後進の指導にも当たるなど八面六臂の活躍振りだ。マルタ・アルゲリッチがその才能を認めて、自ら主宰する音楽祭に招聘したり、彼女と連弾をしたりしている。 ※パリ在住。

★主な共演指揮者 アンドレイ・ボレイコ、ウラディーミル・アシュケナージケント・ナガノシャルル・デュトワ、ジャナンドレア・ノセダ、ジャン=クロード・カサドシュ、ズビン・メータ、ダニエレ・ガッティ、チョン・ミョンフントゥガン・ソヒエフネーメ・ヤルヴィ、ハンヌ・リントウ、パーヴォ・ヤルヴィミハイル・プレトニョフ、ほか

★主な共演オーケストラ ウィーン響、hr響(旧・フランクフルト放響)、ミュンヘン・フィル、トゥールーズ・キャピトル国立管、フランス国立管、パリ管、リール国立管、ロンドン・フィルトリノ王立歌劇場管、チェコ・フィル、イスラエル・フィル、フィラデルフィア管、ロサンゼルス響、NHK交響楽団、ほか

★主な室内楽共演者 ヴァレリー・ソコロフ(ヴァイオリン)、ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)、ルノー・カピュソン(ヴァイオリン)、リサ・バティアシヴィリ(ヴァイオリン)、ミッシヤ・マイスキー(チェロ)、トゥルルス・モルク(チェロ)、ギードレ・ディルヴァナウスカイテ(チェロ)、ソル・ガベッタ(チェロ)、エマニュエル・パユ(フルート)、ほか

★主な招待音楽祭 アムステルダム(オランダ)、MDR(ドイツ・中東部3州)、サンクト・ペテルブルグ(ロシア)、ザルツ・ブルグ(オーストリア)、BBCプロムス(イギリス・ロンドン、ほか)、ヴェルビエ(スイス・ヴェルビエ)、マルタ・アルゲリッチ・プロジェクト(スイス・ルガーノ)、メニユーイン(スイス・グシュタード)、ラ・フォル・ジュルネ(フランス・ナント、ほか)、グラフェネッグ(オーストリア・ニーダーエ-スタ-ライヒ州)、ほか

ディスコグラフィ 2011年 ソニー・クラシカルと専属契約。①2011年CD  リスト・アルバムでソロCDデビュー   ②2012年CD  ショパン・アルバム   ③2014年CD  独奏小曲集(マザーランド┅バッハ:カンタータ~アリア、ドビュッシー:月の光 ほか) ④2016年CD  独奏曲集(カレイドスコープ┅ムソルグスキー展覧会の絵ストラヴィンスキーペトルーシュカからの3楽章 ほか) ⑤2016年BD(ブルーレイ・ディスク)リスト:ピアノ協奏曲第2番&ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番(ズビン・メータイスラエル・フィル) ⑥2017年CD  ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2&3番(パーヴォ・ヤルヴィチェコ・フィル)  ⑦2019年CD シューベルト・アルバム          

ソニー以外の室内楽』 ①2010年CD  ドイツECM・室内楽曲集(フランク:ピアノ五重奏曲ほか:ギドン・クレーメル、クレメラータ・バルティカほか) ②2011年CD  ドイツECM・室内楽曲集(チャイコフスキーピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出」ほか、ギドン・クレーメル、ギードレ・ディルヴァナウスカイテ、ほか) ③2014年CD  フランスERATO・フランク&グリーク&ドヴォルザークルノー・カピュソン:ヴァイオリンとデュオ)

【来日数なぜか少ない】2017年時点で無名時代を含めて何と4回のみ。2013~2015年の空白が問題! 初来日は2010年ラ・フォル・ジュルネ。ここでショパンを弾いて注目された。2012年(2011年は震災のためキャンセル)は、ギドン・クレーメルスペシャル・ステージに参加して再来日、チャイコフスキーピアノ三重奏曲「ある偉大な芸術家の思い出」、クレーメルが創設した室内オケ「クレメラータ・バルティカ」とモーツァルトの「ピアノ協奏曲第23番」を共演した。(サントリー・ホール)  ※リサイタルはショパン&リスト中心のプロで開催。(浜離宮朝日ホール)  

2016年はパーヴォ・ヤルヴィ/NHK交響楽団シューマンのコンチェルトを競演した。その際、第1楽章の終盤近くで彼女とはヨーロッパで何度も共演しているパーヴォが珍しくカティアに向かって5秒ほど指揮棒を振る場面があった。何か両者の間でソゴがあったのだろうか? 視聴し直してみると、パーヴォが煽っているように見える。指揮者が煽られることは彼女の場合よくあることだが、これはどういうこと? パーヴォがカティアを手玉に取っているということ!   ※リサイタルは「展覧会の絵」ほかのプロで開催。(浜離宮朝日ホールほか)    

ところで、彼女は自国語以外にフランス語&ドイツ語&英語&ロシア語の5か国語が堪能の域を超えていて、引きも切らない各国のインタビューにそれぞれ自国語のように丁々発止と受け答えしている。以前に出演したテレビ(フランス)のトーク番組ではジャズやラテンまで披露していた。さらに、彼女の容姿やファッションが世界から注目され各国専門誌の表紙モデルに引っ張りだこだ。また、彼女は楽屋にメイク担当と爪の調整研ぎ担当の各専門スタッフを帯同してる。 

以上は公表されている様々な資料から私なりにまとめたものである。ここからは私見を述べたいと思う。忌憚の無いご意見やご指摘を頂ければ大変有り難く思う次第である。

【ピアノ協奏曲のブニアティシヴィリ】数々のコンチェルトを視聴すると彼女は凄まじい技巧のなかで時に派手なミスタッチをする。しかし、彼女はそれに全く動じず音楽にはいささかの乱れもない。聞き取った私自身の耳を疑ってしまう。

それより何より、オーケストラとの一体感が素晴らしい。リストの協奏曲第2番、グリーク、そして、ラフマニノフの第2&3番などを視聴すると「ピアノ管弦楽」というジャンルが出現したかのように感じるのは私だけだろうか。思わず自分の身体が動いてしまうのを止められない。また、指揮者をここまで注視するピアニストも珍しい。それに、ソロ楽器に寄り添った演奏姿勢が凄い。それだけ余裕があると同時に、それが上記のピアノ管弦楽?にも通じる所以と言えるだろう。そして、ピアノの休止時にはオーケストラに優しい眼差しを向け、その演奏に身体ごと溶け込んでいる。オーケストラの咆哮には敢然と挑み髪を振り乱して盤面を睨み天を仰ぎ時に腰を浮かせて弾く勇姿、片や絹糸を紡ぐ囁きのような響きの中にそっと分け入った時の敢えて抑えた彼女の表情に、私は身震いして見入り、聴き入るのみ。これは、得意な一台のピアノによる四手(時に六手)連弾や二台のピアノによる四手曲(協奏曲を含む)、そして、多くの室内楽で培われた強調性によるものと思われる。指揮者の音楽造りを信頼する姿勢が感じられて好もしい。

この人の演奏は聴く度に新しい発見と感動がある。彼女とオーケストラのキャッチボールはスリリングで面白い。だから、私は聴き飽きることがない。彼女は協奏曲をオーケストラとのアンサンブルと捉えているふしがある。指揮&ソロへの丁寧な対応、そして、ピアノの出番になるとテンポの「ゆれ」を伴う躍動や独特の「短音符表現」で「ブニアティシヴィリ・ワールド」を築く。

これらの、彼女の感性を世界が称賛している。ロンドン&ベルリンが「賞」を与え、ウィーン&ニューヨークが「注目演奏家」に選んでいる。ところが、ロンドンの有力専門誌「グラモフォン(ドイツ・グラモフォンとは無関係)」が異論を唱えているのが気になる。

★主映像10 2017年前半の最新版は  ①《ベートーヴェンの第1番》。ソナタ「熱情」で驚かせたテンポをメータは抑え気味にスタートさせる。しかし、ブニアティシヴィリの世界はとどまることはない。楽しいベートーヴェンの1番に仕上がっている。私達が見られる20代最後の演奏姿。

映像が発信されている中では最も若い21歳での  ②《ブラームスの第2番》を視聴して私はタマゲた。この格調高い弾きっ振りには、若さ故の多少のミスなど吹き飛ばす「お見事」の一言しかない。先日3年ほど前の巨匠ポリーニによる同曲の演奏を視聴したが、音だけで聴き比べたなら大方が真逆に指名すること請け合いだ。この道を通って現在がある。時に原点復帰して欲しい。

③《チャイコフスキーの第1番》はテクニックに走ってテンポを上げ過ぎ、音楽が上滑りしないかと心配したが無用だった。終楽章の両手3オクターブの疾走には髪が逆立つ思いがする。以来彼女とメータ&イスラエル・フィルはコンビ化している。                    ④《シューマン》は、1~3楽章の冒頭が夫々特徴的だが、中でも第2楽章の入りがピアノとオーケストラの交換(掛け合い)で始まるのが印象的で、妻で初演者でもあるクララに対するロベルトの思いが満ちたロマンチックなイメージがある。技巧的な部分は申し分ない。交互に表れるメロディックな部分はピアニッシモが客席に届くか心配なほど思い入れを込めた演奏だ。クララ・シューマンは天才ピアニストであり、立派な作曲家(ピアノ協奏曲や歌曲など)でもあったから、夫の唯一のピアノ協奏曲に多大な助言をしたであろうことは想像に難くない。それを考慮して演奏していることは、彼女とパーヴォ・ヤルヴィの対談(映像発信あり)での発言から理解出来る。立派なアナライズ(分析)と言えよう。パーヴォ・ヤルヴィとはhr響(前出)とNHK響、ズビン・メータとはイスラエル・フィルが発信されている。

勿論、ショパンやリストは独壇場。 ⑤《ショパンの第2番》は、オーケストラの長い序奏の後のピアノの入りから連続する音の流れが、ペダルによる濁りに聴こえてしまい、全ての音を聴き取れるまでに、私の耳は3回ほどの繰返し視聴が必要だった。それ以降は、2楽章の「うた」の素晴らしさ、1&3楽章の如何にもショパンらしいテンポの揺れ(ルバート)に鳥肌が立つ。以上はカサドシュ(リール国立管)との共演。彼女の奔放な演奏に辛うじて就いて行った第1・2楽章だったが、肝心の第3楽章は完全にオイテケボリ。同時期にライブ録音されたパーヴォ・ヤルヴィ(パリ管)の見事なオーケストラ・コントロールを際立たせる皮肉な結果になってしまった感がある。 ⑥《リストの第2番》は多くのバージョンがあるが、どれも名演と言える。切れ目の無い全4楽章終盤のグリッサンドフォルティッシモを腰を浮かせてオーケストラ(シャルル・デュトワ)と掛け合う姿は迫力満点。最新のズビン・メータイスラエル・フィル)との共演は、この曲の頂点か!と思わせる圧巻の演奏。序盤、全鍵盤を駆け降りる場面は眼が釘付けになるとともに全身総毛立つ。

グリークからラフマニノフショスタコーヴィチなど近代に向かう作品は彼女の面目躍如だ。 ⑦《グリーク》は、指揮者トゥガン・ソヒエフとの相性がピッタリで、何度聴いても3楽章を終えた途端に、私はPCの前で立ち上がって拍手をしてしまう。改めて名曲だと再認識する。   ⑧《ラフマニノフの第2番》の序奏はピアノの独奏で始まるが、「両手の和音と左手の低単音」の繰り返しが弱奏から強奏へ近づくにつれてテンポを上げるのが一般的な弾き方。ところが、彼女は最初のテンポを頑なに維持しつつ強奏へと進むので、迫力が一段と増す。オリジナリティ(独創性)なのか、一種のアイデアなのか心にくい。ちなみに、ソチ五輪のフィギュア・スケートで浅田真央嬢が感動の名演技を残した際のバック音楽はこの演奏(別バージョン=序奏が速まる)を切り貼り編集したものである。(ジャナンドレア・ノセダ/トリノ・王立歌劇場管弦楽団)   2016年スタジオ録音のパーヴォ・ヤルヴィチェコ・フィル)との共演は、年々進化を遂げ自信満々の演奏だが、テンポが上がり過ぎて抒情性が欠落した部分が見られた。残念。

それから、⑨《ラフマニノフの第3番》はヴェルビエ音楽祭管/ネーメ・ヤルヴィで圧倒的な快演を残している。何と24歳(2011)、ソニーと契約の年だ。最新(2017)のCD(2016録音)では3番をパーヴォ・ヤルヴィ(前出)とも共演しているので、ブニアティシヴィリは奇しくも20代で、両者とも世界的なヤルヴィ親子と難曲第3番(難しいバージョンのカデンツァ)を共演した。凄い。パーヴォとの共演はやはり2016年のスタジオ録音。ホロヴィッツアルゲリッチも真っ青といったテクニック極まる演奏だが、曲の最終、何んぼ何んでもそこまでやる?というテンポでブツンと終わった。折角の名演が┅と私には感じられたものの┅これで良いのかも。

⑩《ショスタコーヴィチの第1番》は、解き放たれた、或は水を得たと言うべきか、彼女が現代に生きるピアニストであることに気付かされる。これから現代物へとレパートリーを広げて行く彼女の方向性を予感させるような、ハチキレた演奏と言えるのではないか。余談になるが、数多くの彼女の美しい映像の中で、最も醜い映像である。撮影はテレビカメラと思われるが、美女を機械がこれほど醜く撮ることが出来ることに驚いた。

★魅力の万華鏡 彼女の特質は何と言っても音の美しさにあると思う。柔らかなタッチに見えるが音の粒が明瞭で、最弱音から最強音まで一貫している。それでいてテンポを速めに取りつつもピアノの歌わせ方、絶妙なペダリングは年齢を疑ってしまうほど。音に色気があって楽しい。同じ技能派でアルゲリッチの後継者として人気を二分すると言われるユジャ・ワンの鍵盤を鷲づかみにするような、がっちりしたタッチから生まれる音とは対極にあると感じるのは贔屓し過ぎだろうか。《ショパンの第2番》の二人を聴き比べてみると、片やこれぞショパン!  に対してユジャ・ワンは作曲者も作品も別人に聴こえてビックリする。

協奏曲の演奏を終えた女性ピアニストは聴衆の喝采の中、先ず指揮者に歩み寄ると、指揮者は頬を合わせて奏者をねぎらう儀式を行う。彼女の場合は演奏の出来栄えによるのか指揮者への所作が微妙に変化する。ラフマニノフではジャナンドレア・ノセダの首に右手を回し左手で彼の背を何度も擦って喜びと感謝の抱擁をしていた。ところが前記のパーヴォ・ヤルヴィには、両手をだらりと下げ両頬を合わせただけ。ヤルヴィとはフランクフルトのhr交響楽団でやはりシューマンを共演し、ノセダに近い抱擁だったのに。よほどN響での演奏に不満があったのか? 否、立派な演奏だった!ヤルヴィは嬉しそうに笑みを浮かべながらノリノリの棒さばきだったし。別に考えられることは、この二人の共演は今やコンビと言えるほど数多いので、特別な抱擁は必要無かったのかも知れない。後の情報によれば、演奏を終えると透かさずブーイングがあったというからその影響かも。彼女の表現、或はビジュアルに反感を持った?女性かららしい。そのせいか当日は異例にもブニアティシヴィリのアンコールは無かった由。一言添えるならば、ヤルヴィとブニアティシヴィリはこのシューマンを何回となく共演していて、テンポを含めて曲の構成は両者が共有しているということ。音楽にブーイングするならば、どちらかといえばヤルヴィに向けるべきだろう。テンポならば、ズビン・メータも負けていないし。

ところで、彼女のビジュアルについて世間がかまびすしい。お辞儀の仕方が変という向きがあるが、客席に顔を向けて礼をするのは、それなりに理にかなつている。メイクやファッションにいたっては、芸術家とはいえ自他ともに許す現代美女に対してお節介も甚だしい。髪のかきあげがうっとうしいので後ろで束ねるなど、考えるだに悲しくなる。彼女はサービス精神が旺盛なのだ。彼女が意識しているのは聴衆だけではなく、指揮者やオーケストラメンバー、さらに、TVカメラの向こうにまで及んでいると思う。これは良いことではありませんか。どんなサービスをしても中身が伴わなければ誰からも相手にされないし、特に聴衆には選ぶ権利が有るのだから文句を言う筋合いは無い。気に入らなければ無視して聴きに行かなければ良いまでのこと。

【ピアノ独奏曲のブニアティシヴィリ】独奏曲でのカティア・ブニアティシヴィリは協奏曲とは別の一面を見せる。彼女のショパンは作曲家が自らは果たせずに、理想としたであろう表現を具現化しようとしているかのようだ。それは、弱々しいショパン(ピアニストとしてヴィルトゥオーソとされるものの、身体が非常に弱かった)にとって決して弾けないであろう「フォルティッシモ」を彼女は何等ソンタク(斟酌)することなく弾いてのける。コンクールで最優秀ショパン演奏賞を受けた実力が垣間見られる。

リストの唯一の「ソナタロ短調」、それに、「ラ・カンパネッラパガニーニによる大練習曲 第3番)」を始め多くの「超絶技巧曲」、プロコフィエフの「ソナタ第7番(戦争ソナタ)」、ストラヴィンスキーが自作のバレエ曲を編曲した「ペトルーシュカからの3楽章」などにいたると、彼女の左手がにわかに強烈な主張を展開する。腕力が黙っていない。スタインウエイが壊れそうな勢いに唖然とする場面が出現する。柔らかに見える手指も相当の圧力を秘めているようだ。

只一つだけ指摘するならば、バロックの他ジャンルからの編曲もの、特にバッハの声楽作品カンタータからアリア「羊は安らかに草を食む」をアンコールなどでよく弾いている。これは私のイメージと異なり、ロマン的雰囲気が気になっていた。ペトリ(~1962)の編曲版で一般によく弾かれているものである。そこで、よく聴き込んでみると内声部に隠れている対旋律がよく聴こえて来ないことに気付いた。彼女はその旋律を確かに丁寧に秘かに弾いている。これをもっと強調すればバッハの雰囲気が出て来るのではないだろうか? 以上は素人の私の感想。名うてのブニアティシヴィリに分からない筈はない。なんでか! どうも私の耳はバロックチェンバロを引きずっていたようだ。彼女は、バッハ、ヘンデルスカルラッティといったバロック時代に題材を求め、ペトリやケンプの手(編曲)を借りて現代に訳し、若手のブニアティシヴィリ自身がそれを表現している、いわゆる、現代に甦ったバロックと考えれば腑に落ちて来る。(前記バロック後期の三巨人は奇しくも1685の同年生まれ)

【盤上のプリンシパル】私はピアノ曲を鑑賞する際、テンポだけは相当高名なピアニストであっても、テクニカルな、例えば、オクターブで動き回るパッセージなどはイメージより遅くなることを許す、我慢する、妥協する、やむなし、諦めるなどという覚悟を持って臨んでいた。それが、それらをいっさい取り払って、イメージ通りのテンポを安心して追い求めることが出来るピアニストが現れたのだ。それが「カティア・ブニアティシヴィリ」である。まだまだこれからの年齢だが、早咲きの花は今まさに旬を迎えている。あまりの売れっ子振りに、いつ研鑽の時間が取れているのかが気にかかる。同時に才能の枯渇が心配だ。今でも十分に歌えているが、さらに技能というより芸術の肥やしになるものを貪欲に取り込み、美しき女性が故に陥る肉体的ハンデにはくれぐれも注意して、折角の逸材が益々永く光輝くことを祈りたい。

【嘆きのエピローグ】世界四大レーベルの一角を占める「ソニー・クラシカル」が24歳の新進女性ピアニストと契約を結び、7年目の前半までに6点のディスクをリリースした。この間、彼女の活躍は目覚ましく、将来性は限りない。ソニー・クラシカルの慧眼が光る。だが、「出る杭は打たれる」という言葉もある。天下のハイフェッツカラヤンさえ否定する人もいるのだから。また、本人には何の罪もない彼女の美貌に嫉妬し、反感を持つ男女が居ることも事実。ある女性は「彼女のコンサートに男性が多いのは彼女の容姿を見て納得出来た」と言っているけれど、男性が彼女の表面的な美顔や豊胸に引き寄せられているのではなく、彼女が発する音と感性(表現)に魅力を感じているのだと、ここで代弁しておきたい。とはいえ、天が彼女に二物も三物も与え賜うたことは確かだろう。

なお、数多い書き込みの中には、独善的で否定的な口汚いコメントを見かける。発信者は彼女の演奏の何パーセントを何回聴いてコメントしているのだろうか? 多くの巨匠が彼女を絶賛している事実を知っているのだろうか? 日本在住のある外国人が言っている「日本には他人の足を引っ張る文化がある」と。何とも嘆かわしい。最も問題が多いと考えられるのは、発信したまま更新や削除をする謙虚さを持たずに恥をタレ流しの状態で放置することだ。文章の発信は誰かに影響を及ぼすオソレがあるということを肝に命じ、責任を感じて参りたいと私自身思っている。

※ 今回、音源&映像を日本国内で入手(ディスク&TVビデオ録画)出来ないものは YouTube を参考にしました。    

 

※ 筆者プロフィール:大嶺光洋(おおみね こうよう)。公益社団法人「日本演奏連盟」所属・声楽バリトン。北海道北見市出身。平成24(2012)年、72歳で「奏楽堂・日本歌曲コンクール」入選(ファイナリスト)&  審査員特別賞受賞。平成26(2014)年、74歳で同コンクール・審査員特別賞再受賞。 現在、ピアノ・宮崎芳弥(みやざき よしみ)とデュオ活動中。東京在住。            

【CDアルバム・リリース情報】      日本歌曲「詩人と作曲家の対話」全26曲 2020年8月発売 ALM records(コジマ録音) バリトン:大嶺光洋 ピアノ:宮﨑芳弥   

日本歌曲「優しい歌たち」全28曲 2022年6月発売 ALM records(コジマ録音) バリトン:大嶺光洋 ピアノ:宮﨑芳弥